nakani_tumblr
人はたいてい、自分が平均より賢く、平均より運転がうまく、平均より「いい人間」だと思っている。
人間が思い切った行動を起こし、クリエイティブな人生を実現していくためには、憂鬱な期間を過ごすことが、実は意味のある大事なことなのではないか、と感じています。
『日本人は、いい人すぎる。謙虚すぎるし、事前に考えをめぐらせすぎる。尊敬や思いこみでキョリをもった瞬間に思考は停止して、じぶんの可能性をじぶんで抑えてしまう。競争力が足りない。』 - #etfes Evernote 株式会社会長 外村仁氏『シリコンバレーから見た日本のIT教育』 (http://bit.ly/L4LBsS)
from http://bit.ly/JurYO8 (via kiri2)

や、オタの文章は基本的につまらん。

「あのキスシーンは、悲しいけれど、格好良かった。こういう大人の女になりたい。」

なんて文章をやつらは書かず、

「あのキスは、彼女がシンジに対して初めて見せる、他人としての象徴を見て取ることができ(ry」

なんてやりやがる。もっとひどいのになると、

「あの作品を/ユングの××を踏まえると、監督の頭のうちには(ry」

おいおい、一本の作品を見るのに他の作品やらなんやらであらかじめ予習をしておかなければならんわけ?ツタヤの回し者か?と、いった感じのオタまでいる*1。

「批評」も大事だけど「感動」だろう*2、作品を鑑賞し、評価する原動力ってのはさー。

なぜオタの批評はつまらんのか? - riverrun past… (via ichimonji) (via fukumatsu) (via theemitter) (via yaruo) (via tumblreffect)

そうそう、批評は基本的につまらん。知ったかぶりするな
能動的に感じた感動を素直に書けばいいのに

(via miffycore) (via rioysd)

2009-08-24

(via gkojay) (via oosawatechnica) (via konishiroku) (via yellowblog) (via ase-hujiko) (via flatmountain) (via precall)

(via omoro) (via yaruo)
誰でも、風向きや胃の調子によって機嫌が悪くなるものだ。扉を蹴飛ばす人もいれば、扉に八つ当たりするように無意味な言葉を吐き散らす人もいる。心の広い人は、こうした出来事を忘れてしまう。そもそもそんなことは気にしないので、他人がやったことでも自分がやったことでも黙って受け入れ、完全に許してやる。
1. 生きていくためには、記憶力よりも、その対極にある”忘れる力”のほうが不可欠である。 (アインシュタイン)
2. やることが何もないだけでは楽しくない。楽しいのは、山ほどやることがあるのに何もしないことである。 (ジョン・W・レイパ-)
3. 毎月少しずつ貯金しなさい。そうれば、年末に、どんなにわずかしかたまっていないか知ってびっくりするだろう。 (アーネスト・ハスキンズ)
4. 人生はB級映画に似ている。途中でやめようとは思わないが、二度と見ようと思わない。 (テッド・ターナー)
5. 私の人生は私が端役の滑稽な芝居である。気の利いた台詞をはくシーンはない。 (ファイナルヴェント)
根拠もなしに何かをえらそうに言っている人にその根拠を聞くと、聞き方が悪いと言って回答が得られないの法則。
(via yuria)

33 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2007/09/25(火) 01:11:44 ID:92B822zz
医者だが
10年前同僚で飲み会やると、当直でどんな重症患者の救急をうけて、救命したか自慢しあったものだった。
今同僚で飲み会やると、当直でどんなにうまく救急車をことわったかで自慢しあっている。

だれも逮捕されたり、訴訟の巻き込まれたくないからね。
マスコミの実名報道もおそろしい。

喪男の書き留めたい事。 (via plasticdreams)
2008-02-27 (via gkojay, plasticdreams)

2009-08-08

(via gkojay) (via raikoudengeki) (via umamoon) (via glasslipids) (via nacookan) (via yaruo)
>大半のアメリカ人は「カスタマーサービス・イズ・デッド」(顧客向けのサービスは死滅した)
 
小売に未来はないってこと?

»181 
これは結構年行っているアメリカ人から聞いた話なんだけど、

昔のアメリカって今の日本と同じで「お客様は神様」「良サービスで競え」が
当たり前だったみたいなんだって。

それこそ1950年代・1960年代、アメリカの経済が好調で、クルマも芸術品並のクォリティー、
電化製品も全部まだアメリカで生産されていた時代。

ほとんどの日本人がアメリカに来てない時代だ。だから多くの日本人が知らなくても当然かもな。

でも1970年代・1980年代になると日本から安くて質のいいものが大量に入ってくると
アメリカ製品は売れなくなったんだ。それこそ今の日本が

チョン製・中国製に押されているみたいにな。

いくらクォリティー高くても安さには勝てない。だからどんどんコスト削減しなくてはならない。
あのムダ減らせ、これを減らせ、アメリカ人雇わなくても

メキシコに工場立てればいいじゃんとかな。

しまいには顧客サービスにもしわ寄せがきたんよ。安く売りたいけどサービスは切り詰めたくない、
それを亡くすと他の会社に取られちゃう・・・。
でもしまいにはそれも破綻。サービスなんかクソっ食らえ、

こんな安く切り詰めた給料でなんでそこまで
客にペコペコしなければならん?どうせ客はアメリカ製品なんか買わない、

安いジャップ製品買うんだろ?

次々とそんな流れになっていき、

他社もサービス維持するのアホらしくなった。ただのムダ、足カセにしか
ならないと気づき始める。あの会社サービスやめた、うちらも、うちらも。

最終的にどこもサービスやめた。

 
よって「カスタマーサービス・イズ・デッド」。サービス期待する方が悪い、
どこいってもサービスないんだからどこでも一緒だよ。


いま、モノ作りはもうだめだから、もっと付加価値の高い金 融サービスに日本の産業構造をシフトしないとダメという議論がやかましくなっているが、ほんとなのか。

素晴らしいコンパイラ技術をもっていた富士通や日立は、その技術を若い世代の技術者に伝承することなく捨てちゃったし、プロセッサもせいぜい日立がSHでがんばってるくらいかな。

ところが、IBMもIntelもAppleもMicrosoftも、もっといえばGoogleもこれらの基盤技術は捨ててないんだよね。

野口悠紀雄氏は比較優位説をすぐ持ち出すけど、Appleなんて経済学の比較優位でいえば、Windowsに対して比較劣位にあるOSなんてとっくに捨てないといけないのに、経営が苦しいときにも捨てなかったし、いまでも捨てない。それどころか地道に改良を続けてるし、Macintosh本体のみならず、iPhoneに使って、再び花開こうとしている。

IBMも、いまやサービスとコンサルの会社になってるけど、それでもプロセッサもOSもコンパイラも捨てないどころか、ずっと研究開発資金を投入している。

MicrosoftだってDOSとプログラミング言語の会社だったから、比較優位説でいえば、比較劣位にあったワープロやスプレッドシートやデータベースソフトを作る理由はなかったはずなのに、作って世界を支配するような大企業になった。

この辺のことを、経済学はどう説明するの? 日本の経済学者で説明できる人、いる?

The LLVM Compiler Infrastructure: ホットコーナーの舞台裏

2007年10月07日 07時37分47秒

(via aso)